ニューヨークジャズ通信/ジャズの本場ニューヨークからホットな情報をお届けします。

山本恵理がお届けするN.Y. Jazz通信(2007/5/29)

山本恵理(ピアニスト)
ニューヨーク在住12年。アメリカ国内に加えヨーロッパ、カナダ、日本でもツアー。
4枚目トリオアルバム "Cobalt Blue" は、世界中で高い評価を得る。
山本恵理公式サイト:http://www.eriyamamoto.com/

わお、前回からお待たせしてしまいました! 皆さん、お元気ですか。
私は今年になって、セントラルパーク近くに引っ越しをしました。最近は、リンカーンセンターの敷地内にある、芸術専門 (音楽、ダンス、演劇)のNY市立図書館にはまっています。

ボビーのNYジャズ話 その1



私がレギュラー出演している Arthur's Tavern は、世界中からの観光客に加えて、地元の人たちも毎晩多く集っています。特に常連さんはみんな個性があって、話がとてもおもしろいんです。
その中の一人、ジャズを心から愛するボビー、 Bob Cooper 氏を今回は紹介します。とにかくボビーは、ジャズミュージシャンに顔が広い!

みんなの人気者、ボビー!
『昔、トランペットを吹いていたって聞いたんだけど?』
『ヒューストン、テキサスで生まれたんだけど、僕のお母さんは歌を歌うのが好きでね。家はいつでも音楽であふれていた。その影響で、8歳でトランペットを始めて、10歳ぐらいにはもう教会のバンドで演奏していたよ。』
『ジャズとの出会いは?』
『中学、高校時代にはルイ アームストロング、ティー ゴードン(ニューオリンズのトロンボーニスト)がいつもラジオから流れていたよ。マイルスデイヴィス、ディジー ガレシピー、ジェイ ジェイ ジョンソンもよくかかっていた。ビーバップの始まりを感じて、わくわくしたよ。 50年代には”Jazz at Philharmonic”という全国を駆け回るフェスティバルが年に一度あって、マイルス、ジョン コルトレーン、チャーリー パーカー、クリフォード ブラウンをはじめ、ほとんどのミュージシャンが出演していたなあ。僕はまだ10代でお金がなかったから、もちろんラジオからしか聴けなかったけどね。』
『 NY に移り住んだきっかけは?』
『高校卒業後、アメリカ空軍に12年在籍。軍隊にはジャズバンドがあって、もちろんトランペットを吹いていたよ。そのバンドでは、のちにレイチャールズのバンドのサックス、 NY 出身のハーマン ライリーにも出会った。そんなこともあって1963年、 NY に移り住んだんだ。もちろん、その頃一番ジャズが熱かった場所、グリニッジ ヴィレッジにだよ。』
『60年代の NY はどんなふうだった?』
『あの頃は、ほんとにジャズクラブがいっぱいあったよ。 Half Note, Five Spot, Slugs, Fat Tuesday, Minton's, Birdland, Metropole, Tin Palace,,,. Blue Note は昔はイーストヴィレッジにあったんだ。あっ、それと忘れちゃいけないのは Village Gate. ニーナ シモンズ、ビリー ホリデーもよく出ていたよ。ディジー ガレシピーとティト プエンテの共演した夜は、凄かったなー。』
『ジャズクラブを以前やっていたって聞いたんだけど?』
『そうなんだ。そのころ、ブリーカー ストリートに面したアパートに住んでいた。道を隔てたレストランバーをいつも窓から見ていたんだけど、いまいちぱっとしない。そこで、あるとき店のオーナーに、ライブジャズが聴ける店にしないかって持ちかけたんだ。返事は OK! 1979年に "Boomers" という名前で始まったんだ。』
 
1971年にオープンしたBoomers。今は24時間オープンのグリークダイナーに変わっている。 写真は、シダー ウォルトン、サム ジョーンズ、ルイス ヘイズ。   かつてボビーが住んでいたアパート。ここの2階の窓から、レストランの様子を伺っていた。


次回は、<ボビーのNYジャズ話 その2>Boomersでのミュージシャンたちのお話です! お楽しみに。
山本恵理

ではまた次回をお楽しみに!
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